ちょっと待った!努力量を上げても「方向性」を間違えると逆効果だよ!

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筋トレ 努力 子育ての考え方
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筋トレ 努力
photo credit: istolethetv via photopin cc

子どもの頃、スポ根漫画を読みながら育ったTONELIKOです。

「努力は必ず報われる」

「努力に勝る才能はなし」

「成功したければ人より努力しなさい」

大人になるまでに、このような努力にまつわる決まり文句を一度も耳にしたことのない人はいないのではないでしょうか。

私も子どもの頃は、親からことあるごとに努力の大切さを聞かされて育ちました。当時は今と違ってとても素直な子どもでしたので、努力は無条件に素晴らしいものだと思い込んでいました。「努力教」という一種の宗教の信者だったのかもしれません。

 

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努力=努力量?

でも、今にして思うと、当時の親や先生といった大人たちが言う「努力」って、ほぼイコール「努力量」だったんですよね。で、さらに進めて言うと、この「努力量」は「努力した時間」とほぼ同じ意味でした。

ようは、勉強であれば睡眠時間を削ってでも長時間机に向かい、スポーツであれば遅くまで居残り練習していると、あいつはものすごく「努力」していると賞賛されるわけです。いや、この風潮って今だに日本社会に根強く残っていますね。残業時間の長い社員を評価する会社ってまだまだ多いようですから。

でも、ここで言う「努力」ってあまりにも「量」に偏り過ぎていませんか。私は「努力」には「量」だけでなく「方向性」と「質」があると考えています。

 

努力の方向性

ちょっと記憶が定かではないのですが、キングカズこと三浦知良選手が全盛期の頃、筋トレをやり過ぎてかえって身体のキレが鈍ってしまった。そんな話を耳にしたことがあります。話の真偽はともかく、たしかにサッカー選手として余計なところに筋肉を付けてしまうと動きの妨げになり、パフォーマンスが落ちる可能性はあります。

このケースで考えると、彼は決して努力不足だったわけではなく、むしろ人一倍努力していたのでしょう。ところが努力の方向性を誤ってしまうと、本来求めていた成果に対してかえって遠ざかってしまうこともあるわけです。

目的地と反対方向に舵を取ってしまっては、進めば進むほど目的地から遠ざかってしまいますよね。「努力の量」を上げる前に「努力の方向性」を間違えないようにしなければなりません。

 

努力の質

ここで言う「努力の質」とは、言いかえれば集中力と真剣さです。よく日本のスポーツの練習は、やたらダラダラと時間だけ長く、反対に欧米や南米では時間は短いものの、実戦さながらの真剣さで行われていると聞きます。

 
中学サッカー小僧 親子で目指すプロ選手 (白夜ムック) P52より抜粋

中学生年代では当時の香川選手と同じくらいサッカーのうまい選手はいるようだ。しかし、当時の香川選手と同じくらい真剣に練習に取り組んでいる者はあまりいないと感じている。

 

 
またまたサッカー選手を例にあげましたが、別にサッカーに限った話ではありません。たとえば、スタートラインも、乗る自転車も、進む方向もまったく同じだとしても、ペダルを漕ぐ強さによって、同じ時間でも進む距離は異なりますよね。

まったく同じ時間、同じことをやっていても、その取り組み姿勢によって、過ごす「時間の濃度」に差ができます。その差が積み重なって1年〜2年と経過すると、香川選手のように目に見える成果として表れるようになってくるわけですね。

 

まとめ

私の親が子ども時代を過ごしたのは日本の高度成長期でした。その頃は、みな同じ方向を向いてガムシャラに努力していれば、誰にでも、より良い明日が来ることが信じられていた時代でした。

きっと「努力の質」はともかく「努力の方向性」まで考える必要は無かったのでしょう。親世代の人たちが無邪気に「努力(量)」の尊さを信じ、子どもにもその尊さを伝えようとしたのも無理もありません。でも、残念なことに無邪気でいられる時代はとうに過ぎ去っています。

何かを成し遂げるために「努力」が必要なことは今でも変わりありませんが、「量」以上に「方向性」と「質」が伴わなければ、もはや成果を上げることはできません。

 
以上TONELIKOでした。

 

 

 

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