今、長男のMAGは13歳。だいぶ世の中のことが分かるようになってきて、親の言うことも簡単には素直に聞かなくなってきました。
もっとも自分自身を思い返してみても、中学生くらいになると親に反発するようになるし、中学卒業した後はほとんど親の言うことなんかまともに取り合いませんでした。それでも彼はおかげさまで素直に育ってくれたようで、さほど親に反発するようなこともありませんが、学校の先生に対してはかなり反抗的な態度を取ることもあるらしい。
そのせいか、一部科目はテストで毎回高得点を取っているにもかかわらず、通知表は5段階評価で4だったりします。で、きまって減点されているのは授業態度なんですね。態度評価というものはいまいち釈然としないのですが、まあ、先生も人間だから好き嫌いが評価に入ってくるのも仕方ないのかもしません。
もっとも、親に対してはまだ聞く耳を持ってくれているようです。ただ、おそらくそれもせいぜいあと2年位でしょう。
親のできることなんて限られていて、生活態度やものの考え方、価値観など、子供の内面に親が影響を与えることができるのは15歳まで!その年齢以降にできることは、経済的な支援くらいではないでしょうか。
でも、私はそれでいいと思うし、そうでなければいけないとも思います。理由は2つあります。
時代が変われば価値観も変わる
1つは、親と子供ではその年齢差だけ生きる時代にズレがあるからです。たしかに今、私と彼は同じ時代を生きています。しかし、私は1982年に13歳を、現在は44歳を生きているのに対し、彼は今13歳を、2044年に44歳を生きることになるのです。
生きている時代が同じでも、人生のステージが年齢差の分だけ異なるのだから、生き方や考え方に違いが生じるのは当然のことでしょう。これから44歳以降を生きようという者が、13歳以降を生きようとする者に自分の考えを押し付けることは無理があるし、私は彼の人生の当事者でない以上、彼のこれからの人生に責任を持てる自信もありません。
子どもの方が時代に敏感
2つ目は、親より子どものほうが時代の風を読むセンサーが鋭いからです。一般的には、経験を積むことは判断力や洞察力を高めることにつながりますが、その反面、物の見方を硬直化させたり、成功体験に囚われて新しい考え方を受け入れにくくなります。
ちょうど使い込んだパソコンのようなものです。使用しているうちに必要なソフトを入れたり、よく使うソフトのショートカットをデスクトップに置いたりすることで、どんどん使いやすくなっていく反面、動きが以前よりも遅く、いわゆる「重い」と感じるようになってしまう。
パソコンなら完全消去してOSを再インストールすれば、またサクサク動くようになりますが、人間の頭だとそういうわけにもいきません。また、新しい考え方を理屈では同意できても、それが自己否定につながる場合には、感情的に受け入れられなくなってしまうでしょう。
最近では、体罰容認論などがそれにあたります。体罰を通して育ってきた者や、体罰を使って子供を指導してきて、ある程度の成果を上げてきたような人間にとっては、体罰否定は即自己否定につながってしまいます。それが、到底感情的に受け入れられるものではないことは容易に推察できます。
その点、子供にはまだたいした成功体験もないし、新しい考えを拒絶するほどの感情的な障壁もできていません。だからこそ、時代の風を素直に受け止め、今とこれからをどう生きていくべきかを直感的に察知することができるわけです。
もちろん、その直感が必ずしも妥当とは限りませんが、過去の経験に囚われてしまう大人に比べると、むしろアドバンテージとして働くケースの方が多いのではないでしょうか。
あとがき
というわけで、負うた子に教えられる日も、そう遠くはないだろうと思うTONELIKOでした。
なお、15という数字には明確な根拠はありません。昔の日本人の元服は15歳でしたし、現代でも義務教育を終えるのは15歳。サッカーの世界でも、早くから頭角をあらわすプレーヤーはだいたい15歳頃からプロデビューするものです。
あくまでも直観的なものですが、だいたい15歳が子育ての一つの区切りと言えるのではないでしょうか。
以上TONELIKOでした。
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