もう私が学校を卒業してからウン十年経ちますが、子供たちの通う学校に関わる機会があるたびに、昔とほとんど変わっていないことに驚かされることが多々あります。
これだけ移り変わりの激しい世の中にあって、学校だけはサザエさんのように同じ時を何度も繰り返しているようなところがあるんですよね。
「去年もやってたから今年も同じようにやる」
ようは思考停止の前例踏襲主義なんでしょうが、これを何の疑問も持たずに延々と繰り返しているような気がします。
中には「なぜ今の義務教育でやる必要があるの?」って聞きたくなるようなこともあったりします。というか、実は私が学校に通っていたウン十年前からずっと疑問だったんですけどね。
そんな「これって本当に義務教育の学校に必要なの?」と思えるものを、思いつく限り8つ挙げてみました。
組体操
まずは、最近話題の組体操を挙げてみました。
スポーツ庁が調査した結果、全国の小・中・高校で毎年8000人以上の児童・生徒が組み体操でけがをしていて、昨年度までの46年間に9人が死亡、92人に障害が残ったことが分かりました。
実は息子も中学生時代、運動会で組み体操やりました。これ実際のところ、完成した瞬間はかなり盛り上がるんですよね。
中には、これを見て感動して涙を流す保護者もいたりします。
生徒たち同士だけでなく生徒と先生も、それまでの練習を思い出して、達成感と一体感を感じることができます。
無事終わったあとは拍手喝采で、「危ないからやめたほうがいい」なんて言える雰囲気じゃありません。なので、次の年もまた同じことが繰り返されます。
でも、冷静に考えたら、これ学校教育でやる意味が分かりません。
どんな教育的効果があるんでしょうか?
かりに効果があるとしても、最悪死亡するリスクを冒してまでやるほどのことなんですかね?
もっと他の安全なやり方で代用できるなら、その方がいいんじゃないでしょうか。
・・・なんてことを実際に学校現場で言ったりすると「空気読めないなー」と思われてしまうので、今まで放置だったんでしょうね。
古文・漢文
古文や漢文って、おそらくほぼ100%の人が知らなくても一生困ることないんじゃないでしょうか。
「知ってたほうがいい知識」かもしれませんが、「知らなくてはならない知識」とは到底思えないんですが。
こんなことやらされてたら、子供たちも「なんで勉強が必要なの?」って聞きたくもなるよなあ。
今、義務教育のカリキュラムってギッチギチに入っていて余裕がないんですよね。
教養として身につけておいた方がいいかもしれませんが、どうしても義務教育でやらなきゃならないこととは思えません。
ダンスや武道
6年ほど前からダンスや武道が中学の体育で必修化されました。
でも、ダンスも武道も、民間のダンススタジオや武道教室があります。やりたい人はそこでやればいいんじゃないですか?
別に学校で無理にやらせる必要はないし、やりたい人は勝手にやります。
あれもこれもと学校でやる必要はないのに、なんでわざわざ学校のカリキュラムとしてやろうとするんですかねえ?
やる気のない生徒にまで無理やりやらせる必要性がどこにあるのか疑問です。単なる文科省の予算確保のネタ?
学校の先生も、今までやったことのないダンスや武道を習ったりしなければならないので、結構な負担になっているんじゃないでしょうか。
そんな付け焼き刃で身につけたスキルで指導されても意味ありませんし、民間には各分野の優れた指導者がたくさんいます。
餅は餅屋に任せたほうがいいに決まっています。
どうしてもというなら、「習い事助成金」でも配るか、教育バウチャー制度でも設けて学校外で行う経済的負担を軽減したらいいと思うんですけどね。
習字
書き初めって学校卒業してから書いたことありません。
これも、ダンスや武道と同じで、やりたい人は民間の習字教室に通えばいいんじゃないでしょうか。
読書感想文
夏休みの宿題の定番ですが、子供たちを読書嫌いにさせる大きな原因のひとつでもありますね。
せっかく楽しく本を読んでも、
「ねえ、その本読んでどう思った?」なんて漠然とした聞かれ方をしたり、
しまいには「その感想、イマイチだね」なんて評価されたら、
せっかくの読書も興ざめでしょう。
どうしても読書感想文を書かせるのなら、せめて読書感想文の書き方くらいは教えてからにして欲しいものです。
書き方を教わらずに無理に書こうとすると、あらすじをなぞっただけの文章ができあがったりします。でも、これは生徒が悪いわけじゃありません。
- お気に入りの登場人物は?
- 心に残ったセリフは?
- 好きなシーンは?
そんな質問に答えるようにすると、自然と感想文のネタも湧いてくるんですが、私の知る限りでは「読書感想文の書き方」を学校で教わることってないらしいんですね。これじゃ子供も途方にくれてしまいます。
ですから、「読書感想文の書き方」なんて本が夏休みになると、よく売れたりするんでしょうね。
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卒業式の練習
大事な授業時間を潰してまでやらなきゃならない意味が分かりません。
そもそも、そんなにキッチリやる必要があるんでしょうか?
だって、小学1年生が入学するときは事前練習なんてしなくても大丈夫ですよね。
卒業式の場合は、卒業証証を受け取りに壇上まで上がったりしなければならないわけですが、ガイド役の先生を配置すれば問題ないはずです。
それとも、卒業式をきちんとできるかどうかが、校長の評価に大きく関わるんでしょうか?
生徒の卒業を祝うことではなく、型どおりに滞りなく式を終わらせることが、卒業式の目的なんじゃないかと思わせるほどです。
こちら、「あー、同じこと感じてた人いたんだなー」と思った記事です。
卒業式の「練習」を狂ったようにして得られるものはなに? | ヨッセンス
小さく前にならえ
こんな並び方、卒業してからやったことないです。
昔の軍隊の名残でしょうか?
たしかに一定間隔できちんと並べるんでしょうが、それってちゃんとやらなかったら叱られるほど(社会生活において)大事なことなんですかね?
強制性の強いPTA
「PTA」ではなくあえて「強制性の強いPTA」としました。
つい最近、菊池桃子さんがこんな発言をしたことが話題になっています。
タレントで民間議員でもある菊池桃子が、25日に首相官邸で行われた「1億総活躍国民会議」に出席し、ワーキングマザーにとっての「重荷」にとって言及。ネットでは賛辞の声があふれている。
菊池が賛辞を集めている点は、特に学校の「PTA活動」に対してのものだ。「PTA活動はもともと任意活動なのに、すべての者が参加するような雰囲気作りがされている」と菊池は会議で発言したと取材で答えている。「任意にもかかわらず、すべての者が参加するような雰囲気作りがなされていると。なかなか働くお母さんたちにとっては、PTA活動っていうものが難しい」と具体的に述べ、文部科学省にしっかり把握してほしいと語った。
私はPTA活動そのものには肯定的です。
他の保護者の方や先生と交流する機会が増えますし、学校運営に積極的に関わることも良いことだと思います。
実際のところ、PTA活動に積極的な人の中には、飲み会が楽しみで参加する人も多いようです。
でも、基本的にはやりたい人がやればそれでいいと思うんですよね。
「もしそれで人数が集まらなかったら、活動に支障が出るじゃないか!」
そんな反論もあるかもしれませんが、なら、できる範囲でやればいいんじゃないかと思うんです。
毎年無理に同じレベルのことをやろうとしなくてもいいんじゃないでしょうか。
もともと任意なんですから、やれる人がやれる範囲でやって頂ければ何の問題もないはずです。
現状は義務的な雰囲気があって、わざわざ自分で自分の首を絞めているような印象があります。
もうちょっとゆるく考えられると、逆に「参加してもいいかなっ?」て人が増えると思うんですがどうでしょう。
ところで、私は当時よっぽど暇そうに見えたのか(暇じゃないです!)、ずいぶん前にPTAの会長に推薦されたことがあったんですが、お断りして良かったです。
こんな考え方じゃ、きっと推薦頂いた方の顔に泥を塗ることになってましたね。
あとがき
あれも大事、これも大事と教育カリキュラムは増えていく一方ですが、現場は子供たちも先生も疲弊しているんじゃないでしょうか。
足し算ばかりじゃなく、そろそろ引き算もした方がいいと思うんですけどね。
でも、増やす時は反対はほとんどなくても、減らそうとすると既得権益者の抵抗があったりして、なかなか手を出しにくいんでしょうね。
あんまり裏事情の詳しいことまでは分かりませんけど。
で、結局そのしわ寄せを受けるのが、子供たちや先生ということなんだろうな。
でも、これどっかでナタを入れないと、きっと100年後も同じことやってますよ。
以上TONELIKOでした。
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