東京五輪の日本代表?バルセロナのカンテラ久保建英君の2010年頃の印象

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2020年東京五輪の開催が決まりましたね。

サッカーの場合は23歳未満という年齢制限があり、7年後ですから現在の中学生から小学生高学年がちょうど五輪世代ということになります。この世代のサッカー少年には、ハッキリとした目標ができ、モチベーションの上がっている子も多いのではないでしょうか。

ところで、先月Jリーグの下部組織などが海外クラブと対戦する『U-12 ジュニアサッカーワールドチャレンジ 2013』が行われ、スペインからもFCバルセロナのカンテラ(下部組織)が来日し、話題の日本人FW久保建英君が大活躍したそうですね。

巷では早くも、2020年の東京五輪のサッカー日本代表を期待する声がチラホラと聞こえてきます。

彼はスペインに行く前には、神奈川県でプレーしていましたが、一時期、MAGとは同じサッカースクールに通っていましたので、私も何度かそのプレーを間近に見たことがあります。

 

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久保君が通っていたサッカー道場

そのサッカースクールでは人工芝のフットサルコートを使い、小学1~3年の低学年と4~6年の高学年で練習時間を分けて行っていました。練習メニューは、まずリフティングやコーンドリブル、パスといった基本練習を行い、その後はミニゲームです。

大勢のスクール生がレベル別にA、B、Cの3コートに分けられ、各コートで6~8人位のチームを2、3作り、ただひたすら2時間位ガチンコのミニゲームを繰り返します

ミニゲームにはコーチ陣も加わり、小学生相手にもガツガツ身体を当てますし、寄せも早く、鋭く強烈なパスがバシバシ飛んで来ます。コーチには元Jリーガーもおり、サッカースクールというより、さながら「サッカー道場」とでも読んだ方がしっくりくるような緊張感ある雰囲気でした。

スクール生は大変レベルが高くJ下部の子も何人かいましたね。J下部は通常、外部スクールへの参加を禁止していますが、おそらくお忍びで通っていたのでしょう。

久保君は当時小学3年生で、既に川崎フロンターレジュニアに所属していました。年齢的には本来低学年グループのはずですが、実際には高学年、しかも最もレベルの高いAコートのゲームに、いつも参加していましたね。

MAGは当時小学5年生でしたが、よく同じAコートで、時には同じチーム、時には敵チームとしてミニゲームを戦っていました。

 

ミニゲームでの印象

レベルの高い小学5、6年生がほとんどのAコートの中でも、久保君はまったく見劣りすることなく活躍していましたね。

身体の大きさは普通の3年生と変わりませんでしたが、運動量は非常に多いように感じられました。とにかく、ここぞというチャンスどころでは必ず顔を出して、得点に絡んでくるんですね。オフ・ザ・ボールの動きが素晴らしくポジショニングが絶妙でした。

おそらく次にどのような展開になり、どこにポジショニングを取ればボールに絡むことができるのか、あるいはチャンスを作れるのか、といった先の展開を読む想像力と判断の速さが、ずば抜けていたのだと思います。

足の速さは同年代のJ下部レベルとしては際立って速いというほどではありませんが、判断スピードが速いためか、ゲームの中でそのプレーを見ると、上の学年の中に入っても特にスローな印象は感じられませんでしたね。

テクニックももちろん非常にレベルが高かったですよ。際立った派手さや力強さはありませんが、一つ一つのプレー精度が高くミスが少ないという印象です。また、2つ3つ上の学年の中でプレーしても、まったく臆する様子が見られませんでしたから、メンタルも相当強いのでしょうね。

 

バルサプレイヤーを育てる

さて、どのような育て方をすれば久保君のようなサッカー少年になるのでしょうか。

その秘密は彼の父である久保 建史氏の著書「おれ、バルサに入る!」に書かれています。

サッカー少年の英才教育というと、ひたすら小さな頃から難しいテクニックを練習させるといったイメージを持たれる方も多いかもしれませんが、久保 建史氏の幼児期の教育は、サッカーよりもむしろ人間力の土台を築くことに重点を置いているように思えます。

以下、幼児期の教育方針を目次から一部抜粋します。

  • 2歳から、「君」「さん」付けはなし いろんな場所で、いろんな子と遊ばせる
  • 幼稚園も「外遊び」で決める 自然の中で、生き物にたくさん触れさせる
  • 家におもちゃは置かない 初めてのことは、避けたがって当たり前
  • 絵本の読み聞かせで想像力と集中力をつける 小さいうちはテレビをつけない
  • 公園の練習で、大人との会話に慣れさせる 考えて話す習慣をつけさせる

もちろん、幼少期からサッカーの練習もよくやっていたようです。ただ、それは無理強いするようなものではなく、「親子でサッカーを楽しむ」ことを大前提としたものだったようです。考え方としては、テニスプレーヤー杉山愛選手の母親である杉山 芙沙子氏と近いものがあります。

ちなみに、以前の記事「それって本当に子どものため?習い事を決める前に確認必須の9項目」でも紹介しましたが、杉山 芙沙子氏の著書「一流選手の親はどこが違うのか (新潮新書)」は、スポーツ選手の子どもに対する親の関わり方を学ぶには絶好の良書ですね。

世のお父さんお母さんには是非ご一読をオススメします。

もちろん、同じような育て方をしたからといって、どんな子どもでも同じようにバルサのカンテラに入れるとは思えません。久保 建史氏は我が子が天才であるとは考えていないようですが、やはり彼には非凡な才能と資質があると思います。

また、何よりも親の押し付けではない、本人の強固な意志がなければ、バルサのカンテラに入ることなど到底無理だったでしょう。

しかし、子どもがバルサに入ることを目標に逆算して、今何をなすべきかを非常によく考えて教育されていたことは間違いありません。私も含めて、おそらくここまで情熱を持って緻密に計画し、実行した親はそうそういないでしょう。

久保君が類稀なる才能を持って生まれてきたことは間違いありませんが、同じくらいの才能を持ったサッカー少年は、おそらく今までにも多数いたことでしょう。その才能を存分に羽ばたかせてやれるかどうかは、やはり親の手助けによるところが大きいのではないか?

そんな思いを強くさせられた1冊でした。

 
以上TONELIKOでした。
 

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