もうすぐ七夕。子どもの頃の願い事は「普通になりたい」だった。

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七夕 子育ての考え方
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今度の日曜日は七夕ですね。

そういえば、先日ロケットニュース24に「【衝撃】七夕の短冊に書いた願いが「叶った」という人が2割強もいることが判明! 今すぐ願いを書いておけ」という記事が掲載されていました。

いわく、七夕の短冊に書いた願い事は全体の2割強の人が叶ったことがあるそうです。「夢や目標を書くと実現する」って、自己啓発書によく書かれていそうなことですが、あながち嘘でもないんですね。

 
ところで、TONELIKOの小学生の頃の夢(願望)は

普通になりたい

でした。

 
変な夢ですよね。この夢自体、「普通」の小学生が考えることじゃないですものね。でも、当時の私はかなり切実にそう願っていました。

 
私の両親は、二人共当時は珍しく大学出で、そこそこ育ちの良いお坊ちゃん、お嬢ちゃんでした。で、揃いも揃ってちょっと世間からズレたところがあったんですね。

彼らは、スポーツや遊びには一切の価値を認めず、勉強ができることにのみ価値があると考え、その価値観を子供にも強要していました。テレビは低俗だからダメ。当時人気のドリフやプロレスなんかはくだらなくて、とてもじゃないが子どもには見せられない。

私は当時の男の子のご多分に漏れず、野球大好き少年でしたが、当然リトルリーグなんて進学に関係ないものは、我が家にとって検討する余地もありませんでした。

学校から帰ってきても、宿題に加えて、母が用意した中学受験向けの参考書や問題集をやっつけてからでないと遊びには行かせてもらえません。

私の家は学区域の辺縁にあったため、帰宅後、勉強を2時間以上した後に遊びに出ても、既に友達はどこかに集まって遊んでいます。当時は携帯もありませんし、どこに行けば友達に会えるか分かりません。しかたなく家の前で壁を相手にキャッチボールを繰り返す毎日でした。

学校に行ってもテレビの話題についていけず、放課後も友達と遊べない小学生の日々。

自分はあきらかに他のみんなとは違うぞ。

日に日にその思いは強くなるばかりでした。

もっとも家庭学習をしていたおかげで、小1から勉強はよくできる子どもでしたね。まわりからはよく「天才」と言われていました。

でも全然嬉しくなかったですね。

だって、みんなが遊んでいる時間に勉強しているんですから、勉強できて当たり前じゃないですか。むしろ「天才」と言われると、遊びを犠牲にして勉強している、その孤独な頑張りを認めてもらっていないような気がして、やり切れない悔しさを感じていました。

勉強なんかできなくたっていい。天才なんて言われなくてもいい。みんなと同じようにテレビを見たり、放課後には友達と一緒に遊びたい。

当時はそれが一番の願いでした。

でもね、その頃はそんな親を恨んだりはしていませんでした。「すべてはあなたのためを思ってしていることなのよ。」この言葉を真に受けていた、疑うことを知らない純粋な子どもでしたね。今にして思えば、典型的な毒親だったんでしょう。

 
子どもが「普通になりたい」なんて短冊に書いたら、さすがにおかしいですよね。当時の私にもそれぐらいは分かりましたので、七夕の願い事には書きませんでした。ですから、結局今でも「普通」にはなれていません。

でも今では「普通」なんて、どうでもよくなってしまいました。

「普通」の呪縛を吹っ切れるようになったのは、結婚して子どもを持つようになってからです。今まで「普通」ではないことにコンプレックスを抱いていましたが、自分の子どものおかげでようやくそんな自分にも自信を持てるようになったのです。

子育てにおいては、「やるべきこと」と同じか、もしくはそれ以上に「やってはいけないこと」を知ることが大切です。

「普通」に育てられず、あまり思い出したくもない子供時代を過ごしてきた私には、「子育てにおいてやってはいけないこと」が、「普通」に育てられた方たちよりも、すこしは分かっている自信があります。

もっとも、分かっていてもついついやってしまうんですけどね。虐待の連鎖みたいなもので・・・。

でも、その連鎖を断ち切れたと感じた時は、自分自身に勝ったような気がして、なんとも言えない達成感があるんです。この気持は分かる人にしか分からないだろうけど。

 

子育てに”熱心な”方には是非読んで欲しい一冊です。”熱心”すぎると、そこにはなんらかの歪みが生じ、子どもにもその歪みが伝わる可能性があります。

私も本書の内容にすべてに賛同するわけではありませんが、子どもに幸せになって欲しいなら「熱心な子育て」の副作用を知っておいた方がよいでしょう。

 
以上TONELIKOでした。
 

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